2022年10月2日日曜日

小田原城の華

 「華艸齊杉﨑宗雲-誌」(2022.3)が発行されてから、友人やお弟子さんから、小田原城の華のことをもっと詳しく教えて!というお問い合わせをいただきました。

文章が長くなりますが掲載します。

今の小田原城は市制20周年記念事業として、1960(35)528日に完成し、それ以来、小田原市の象徴として観光客の誘致等に大きな役割を果たしています。

浅い日時に当時の小田原市教育委員会、当時の天守閣事業所長の河野治郎氏から要望され、1階と2階に空間(1.8m×1.6ぐらい)があってどうにもならないので、いけばなを飾って、観光客等へ美化してほしいとの申し出により、初代杉﨑冝宗が1962(37)秋におうけしました。

 小田原城(小田原藩)の名君大久保忠真が京都所司代に在職中に、藩士迄光格天皇に特別のご愛顧を受け、数々の偲びに付けて、1967(42)4月に、小田原城天守閣にて、「御室宝物といけばな展」を開催し、皇室の寺・仁和寺(888~)の寺宝を30数余点を、特に光格天皇の御宸翰の金紙金泥薬師(重文)、等が展示されました。

 仁和寺(京都洛北)には天皇遺愛の茶室の「飛涛亭」(重文)があり、書院式池泉廻遊庭園の庭丘に天皇好み茶室として、入母屋作り葛屋葺に柿葺を廻した涛酒たる天皇好みの・貴族好みの数寄屋茶室として有名である。 

1961年小田原城よりの依頼により始まった小田原城天守閣のいけばな奉仕は、初代杉﨑冝宗、は、四六時中365日のボラんティア活動であり、毎朝のように小田原城に花を担いでの日参でした。それを見ていた私も、父(冝宗)2000(12)が逝去しても小田原城の「もてなしの華」として活け続づけました。 



2015年に、小田原を代表する観光名所であり、日本100名城にも数えられる小田原城。20157月から行われていた天守閣の大規模な改修工事「平成の大改修」が終わり、2016年の5月から一般公開されました。今までの展示場所は位置も変わり、作品も小規模になりました。


2016年には常盤木門がリフォームされ「SAMURAI館」になり、オープン101日の前日に常設の華がほしいという依頼により、思考の上、samurai館なので、けやきの樹根によるオブジェを制作し、季節の草木を活けることにし、毎日のように朝7:00~7:30に家を出、お客様の見える9時前に、天守閣とsamurai館を活け終わらすようにしました。
このケヤキの樹根は以前から柿渋を塗り、価値ある木と魅せるように何回も塗り、磨がいておいたものです。

ご希望のように何点かの作品を掲載します。7点にします。

今は、足と腰を痛め天守閣の石階段から2階までの距離は無理な状態なので、その時から長男尚人に替わってもらっています。彼のためにも評価をお願いします。


0 件のコメント:

コメントを投稿