2005年12月8日木曜日

ホームパーティに招かれて

 最近は、ホームパーティーが開かれたることも多くありますが、行事にあわせての室礼にはケイタリングではなく、料理人の食事が用意されることもあります。
きおつかわなければならないのが、無断で手料理などを持っていくことでしょうか。
そこには、料理人のもてなしの世界があるからこそ、亭主はその人に頼んでいるのです。
 料理だけでなく、いろいろな分野にそのプロがいます。そこのプロの、その世界に勝手に入り込むことは、慎むことでしょう。
 ところで和食のマナーに料理を残すと「この料理は少し食べたがうまくない」との意思にうけとられれかねませんので、別の皿か懐紙にわけていただくようにするのも良い和食のマナーです。

2005年11月1日火曜日

陶芸作家の器に




 作家が作家らしいという一面に他に同じものがないというものを作ろうとする意識があることなのかもしれないし、それが意識して形を変形していくことなのかもしれない、少し使い勝手は悪いが愛着があるのは、、そのひとに、その変形がアカ抜けているほどの洗練されたものの用の美をもった焼きものであることなのでしょう。
 陶器に花をいけるに量産型の器でなく、作家の器に活けるのも、作陶の気持ちいただく楽しみなのかも知れない。器と語らいながら・・・                

〔斉藤正人作黄瀬戸華入れ〕 

 杉崎宗雲の作品・・・<華道家>

2005年10月26日水曜日

「旬」の演出は、野の花


恵まれた自然の中にいる箱根・小田原。ここにはその限りなく優しい人と自然を野に咲く花に託して、野を歩き、感じる楽しさ味わいます。 毎朝早く、野に咲くその時季のの花を必要なだけの最小限を採集し、そして水揚げそして、店に飾るその日の旬が公開される。朝9時の開店に来場するお客さんの第一声に眠たさを癒される。 その花もその日だけのもの、その日だけの出会いのもてなしを演出するのがいけばな。野の花と旬にこだわっていける華道家〔杉崎宗雲〕がいるのです。
[蔵の店に活ける・・・ビオウヤナギ、アジサイ、ヤマユリ、シャガ、・・・宗雲好み華屏風]

 杉崎宗雲の作品は・・・<華道家>

2005年10月24日月曜日

器と花と人・・・場


本来あるいけばなは、器と花、そして人、さらに場の関係〔室礼=しつらい〕を楽しむもの〔アート〕であるのでしょう。
様式的には、なげいれ〔抛入花〕です。定法の無いいけばな様式として、瓶や壺のようなものに活けるもの。
でも、これも昭和年代には、投入花となり様式化されています。つまらないですね。
器というのは、造る人がいろいろ大勢いますように、形も色も室礼もいろいろです。花もいつもいっぱいです。
器と花の出会いだけでもワクワクします。 いけばなは楽しいですよ! 四季折々の花との出会いを
壺や瓶〔黄瀬戸、信楽、備前、織部、粉引、青磁、等との〕に自由にその花との会話〔なげいれ花〕を楽しみながら花合わせを楽しみ飾る。   
  
   [野の花を活ける・・伊豆スカイラインより、函南(駿河湾)の夕陽、コケ3種]
   [岡村昭男作炭化筒花入れ]

 杉崎宗雲の作品は・・・華道家